インタビュー

22Inc.は大手企業の出身者が多い。NTTデータやリクルート、本田技研工業、ミクシィ、オプトといった企業など。福泉も学生時代、22Inc.でインターンを約1年間経験した後、一度、大手人材メディア会社に就職した。 学生時代はインターンとして活躍 決して高学歴と言われる大学ではない、その分、自身の実力・経験を積むことを意識した。大手ゼネコンをはじめ、スタートアップにも複数社インターンを経験、22Inc.も卒業するまでの約1年間、インターンながら案件受注するなど営業として活躍していた。学部の首席として卒業も出来、待ちに待った社会人デビュー、期待感も膨らんでいた。 大手に入って感じた違和感 「就職は安定した大手で・・」、就職に関しては両親の気持ちも考え、安定している会社を選んだ。しかし、大手入社後に待っていたのは違和感の連続だった。充実した研修の機会、経験ある先輩社員、学べる・挑戦できる機会も多く、決して誤った選択ではなかった。ただ、研修後に現場に配属され、営業として働く中で、日に日に違和感は大きくなっていった。 現場に配属されて、2ヶ月経った頃、お金を稼ぐためだけに働いている自分に気づく。日曜の夜になると感じる憂鬱な気分、ただ、やり過ごすようになった平日。そんな時、インターン時代の上司から「連休にイベントがあってもし予定空いていたら手伝ってほしい」と連絡が入った。 再確認した自分の求める働き方 就職した会社では、副業が禁じられていたため働くとしたらボランティア的な働き方になる。でも気分転換で手伝ってみようとイベントの手伝いをすることになった。連日、外でアプリの利用を促すための声がけ、声が枯れそうになる中、精一杯働いてクタクタになった。せっかくの連休なのに・・という思い以上に充実した気分に満たされている自分がいた。「そういえばインターンで働いていた頃もこんな感じだったっけ・・」あの頃は何気なくインターンとして過ごしていたけど、サービスに対する愛着や、スタートアップならではの日々目まぐるしく変わっていく社内の状況。そういった環境の方が性に合っていると感じるようになった。会社に求めることが明確になった後は早かった。すぐに上司に相談を行い、退職の意思を伝えるとともに22Inc.に正社員として復帰した。 サービスと自分の成長を実感できる日々 新卒で入った大手と比べて大きな違いは与えられる経験と裁量の大きさ。22Inc.のメンバーの特徴として大きいのはサービスに対する愛着。現在はカスタマーサクセスのリーダーとして活躍している。一番のやりがいは自分たちのサービスが身近なお店で使ってもらえて役立っている実感を感じられること、毎日忙しく過ごすが感じられる充実感。「大手かどうかで悩んでいる学生さんがいたら、何をやりがいとして感じる性格かを振り返ってみると良い気がします。私の場合はそれが自分の成長と世の中に役立っているという実感でした」、そう福泉はハニカミながら話す。 忙しくも充実した日々を送る 福泉は今日も会社が方針として掲げる「エンドユーザー(お客様)、クライアント(導入店舗)、22Inc.それぞれがメリットを感じる=「三方良し」」を実現すべく今日もクライアントと伴走する忙しい日々を明るく過ごしている。彼女のサービスに対する愛情はクライアントの心も動かし、組織をより前進させる。 ...

22Inc.は多様性を意識した採用活動を行っており、様々なバックボーンを持った人間がいる。台湾出身のデザイナー楊もその一人だ。スタートアップでは、得てしてデザイナーに対しても幅広い業務領域が求められがちだ。アプリデザインからウェブサイト制作のマネジメントに至るまでデザイン部門のリーダーとして会社を牽引している。 日本という国に魅せられた幼少期〜青年期 物心がついた頃から日本のアニメや漫画が好きだった。ドラゴンボールやスラムダンク、ワンピースなど・・出てくるキャラクターの個性に魅せられる日々を送っていた。 いつか好きなコンテンツで溢れる日本で生活してみたいという強い思いで中学時代から日本語学校に通うようになり、日本語は会話できるレベルに達した。 台湾の大学を卒業し、半年間将来についての迷いを抱えながら働き、やはり子供の頃の夢を諦めたくないと、日本へ留学することを決意した。 来日そしてデザイン専門学校へ 専門学校ではWEB・広告・パッケージにはじまり、DTP、グラフィックアートなど、幅広くデザインについて学んだ。また、プライベートでも日本のコンテンツや芸術に触れるべく展示会や個展に足繁く通う日々を送り、卒業するまでの間にもボランティア、アルバイトとしてインターンをするなど日本で社会人生活を送る基礎を整えた。 受託制作の会社で培ったスキル 26歳で初めて就職したのはDTPの制作、大手企業のカタログなどの紙媒体を取り扱う会社だった。 新卒として入社して、毎日早朝から終電まで働き尽くめで、睡眠時間を削りながらもしっかりとスキルを磨く勉強も怠らかなった。 クライアントが大手企業だったこともあり、要求レベルも高く、慎重かつ丁寧に作業を行うことを覚えた。また、社内のベテラン先輩たちから常にクオリティーやデザイン思考が求められ、「考えず作業するのはデザイナーではなくオペレーターだよ」と言われ続ける日々、プロフェッショナルとは何かを感じる日々を送った。 自社サービス運営会社への転職 その後、業務が落ち着いたタイミングで受託以外の仕事にも取り組んでみたいという意識が強くなり、自社サービスを運営する通販会社に転職した。そこで、楊を待っていたのは思い描いていたイメージとは違うデザインに対する考え方であった。今まではデザイン重視のクライアントの要求に応えるというのが正解だったのが、自社サービスの売上に如何につなげていくか、従来持っていなかった売上への影響などを意識するようになった。 UI / UXをつかさどるやりがい その後、楊は友人の紹介で22Inc.へ入社するが、入社後の楊の役割は日を追うごとに多様性、重要性を増している。入社当初、既にスタンプスのサービスは存在していたものの、デザイン部門は存在せず、開発・運用チームと連携しながら、少しずつ組織内でのデザインの重要性を高めていった。「ブランドの価値は一朝一夕ではつくれない。 積み重ねていく意識が大切」今までの経験を活かしてスタンプスのデザイン面を支えつつ、さらにブランド構築にも力を注ぐ楊。スタンプスはクライアント(店舗)向けのサービスではあるが、エンドユーザー(お客様)が生活の中で使うサービスでもあるため、管理ページやアプリなどで大きくUI / UXのあり方は変わってくる。 積み重ねていく意識が大切」今までの経験を活かしてスタンプスのデザイン面を支えつつ、さらにブランド構築にも力を注ぐ楊。スタンプスはクライアント(店舗)向けのサービスではあるが、エンドユーザー(お客様)が生活の中で使うサービスでもあるため、管理ページやアプリなどで大きくUI / UXのあり方は変わってくる。 「いつも思考、目線を変えるのが大変です(笑)。だけど自分がつくったデザインが人々の生活の中で目に触れる、使ってもらえるということが何よりもやりがいに繋がっています。台湾にも広げていって凱旋帰国というのもありですね」楊も22Inc.も、目線は国内だけにとどまらず、世界を見据えている。 ...

物心がついた頃から自動車少年 岐阜で生まれ育った浅見は、物心がついた頃から自動車が好きだった。航空系のメーカーで勤めていた父親の影響を受けていたのか、地元の国立大学に進学していく中で、メカニカル・エンジニアを目指す道を志すようになっていた。大学では工学部物理学科に所属し、開発がしたいという思いから、実験の授業が多い大学院を経ずに大手自動車メーカーを1stキャリアとして選択した。 まさかの地方配属、6年間の熊本勤務 入社当初から人生の分岐点の連続だった。新卒600名一括採用で3分の2が研究所・本社配属、残りの3分の1の中でも数十名が工場配属されるという話の中、研究所配属を希望していた浅見を待っていたのは、縁もゆかりもない熊本県の工場での配属辞令だった。その後、現場実習を兼ねて量産ラインの中での勤務を経験、アルバイトの人でも出来そうな内容の業務だったが、いち早く一人前になりたいという思いを持ちがむしゃらに働いた。 その後、6年間、熊本にて勤務をすることになる。量産ラインの製造工程の実務から管理業務、さらには新機種の量産立ち上げ、品質管理などの業務に携わった。 見えてきた自分の未来と新しい自分への渇望 業務経験を重ね、当時の仕事内容についても熟知し始めた後、浅見の気持ちを動かす出来事が起きる。優秀な同期が海外に駐在していくのを見て、社内制度の「型」が目に入るようになった。決められたレールの上をなぞるように進んでいく同僚の姿が、量産ラインの上を進むプロダクトと重なる部分があり、外に飛び出す勇気へと変わっていった。 その時に浅見の目に飛び込んできたのが、求人サイトの募集だった。2,3人程度のベンチャーで自社サービスを展開している会社ではなかったが、熊本で大手のサービスを一次請けで代理店展開している企業だった。強く惹かれた浅見は後先考えず飛び込んだ。 まさかの天災からの転機で上京 新しく入ったベンチャー企業は3人くらいの会社で、前職とは全く異なり、様々な領域の仕事を兼務することが当たり前の中で業務領域を広げていった。そんな中、入社して1ヶ月も経たないうちに熊本地震が発生。ようやく業務にも慣れてき始めた頃だった。業績が徐々に悪化する中で、どうにかできないかと奔走し、前職時代と比べるとビジネスパーソンとしてかなり濃密な時間を過ごすこととなった。まさかの展開ではあったが、結果的に浅見は会社の存続のため、自らの身を引くこととなった。 妻との話し合いで、東京の会社を見るという目的で、単身出稼ぎに上京することとなった浅見を待っていたのは、地方には無いスタートアップ企業群だった。話題性や影響力があり、決して型にははまらず、自分たちでレールを敷いていく様は、まさに大手を飛びした時に憧れていたイメージそのものだった。 その後、動画広告配信のスタートアップに転職し(未経験ながら拾って頂き)、主にメディア開拓のセールスとして活躍することになる。 溢れ出すベンチャースピリット そのスタートアップは入社2年目のタイミングで大手メディア会社に買収されることになる。スタートアップのスピード感を身近に感じ、自らもビジネスを興す側になりたいと考えるようになった浅見は、愛着のある熊本の町おこしに関わる仕事に関わるためにその会社を離れることとなる。時を同じくして、共通の知り合いからの紹介で、22Inc.の網永と出会う。「スタンプス」というプロダクトで、ビジネスをより大きく興していくフェーズで、さらに網永のビジョンに共感し入社を決意した。 カスタマーサクセス部隊を立ち上げ 現在は、スタンプスのカスタマーサクセス部門のマネージャーとしてお客様の本質的な価値を見定め、サービスとして如何にお客様の課題を解決していくか、自社組織の啓蒙・育成に積極的に取り組んでいる。スタンプスのようなSaaS型サービスにおいてカスタマーサクセスの成功ケースは国内ではまだそう多くない。「サービスの成長、普及のためならどんな役割だって担いますよ。急成長している組織の中で、経験やスキルの領域を広げていくことができるのは貴重な機会だと思います」と浅見は力強く語った。スタンプスの成長、カスタマーサクセスはこの男が鍵を握っているといっても過言ではない。 ...